毎日毎日毎日、自炊していると……「自分の味付け、飽きたわ!」と、なにもかも投げ出したくなる瞬間が訪れます。味に飽きたのか料理に飽きたのか、ただただ面倒なのか、おそらく全部がごちゃ混ぜ。
そんなとき、食べたくなるのが “誰かが作ったたまご焼き” です。
塩っぱいの?甘いの?何もかもがわからない
何十年か人間をしていると「これはこういう感じだな」「次はこう来るな」「こうなったからああなるな」なんて、予想を立ててしまいます。
予想通りにいくかいかないかは別として、あらゆる場面で先を見越した選択をしているのが人間です。
しかし、誰かが作ったたまご焼きに対してはどうですか?
しょっぱいの?甘いの?それすらわかりません。
すべてを相手にゆだねる心地よさ
「せんべい味なのかチョコレート味なのか、食べないとちょっとわかりませんねー」なんて言われたら、口に入れるだけでドキドキしちゃいますね。
でも、たまご焼を前にしたあなたも私も、ドキドキしません。いたって心は静かです。
すべてを相手にゆだね、流れるままにことは運びます。ただそこにたまご焼きがあり、どんな味だろうが気にせず食す。それが誰かが作ったたまご焼きに対する接し方ですね。
誰かが作ったたまご焼きは、日常に送り込まれたエアポケットなのです。
自分の意思ではなにもできない。だから思考しない。ただそこにあるものを食う。そこにあるから食う。それでいい。ヨシ!
同じレシピでもまったく同じ味にはならない
レシピサイトに載ってる分量と調理法で作れば、誰かのたまご焼きだって作れるんじゃない?
そう思ったら大間違いです。卵の大きさはどうですか?使う塩は?調理する微妙な火加減によって、湿度や日当たりによって、もしかしたらかき混ぜる菜箸によってもできあがりは変わるでしょう。
誰かが作ったたまご焼きは、私にもあなたにも作れない、世界にひとつだけのたまご焼きです。
最近、毎日毎日毎日毎日、お弁当のためにたまご焼きを作り続け、こんなことを思った次第。
もしかして最後まで読んでくれたあなた、好きです!