フリーライターだから可能な、破天荒すぎる(自覚なし)人生の楽しみ方

フリーライターだから可能な、破天荒すぎる(自覚なし)人生の楽しみ方
雑誌の編集経験を活かし、フリーライターとして活躍する泥ぬマコ氏。海外放浪中に妊娠が発覚し、帰国後、出産を控えながら離島へ移住する破天荒ぶり。現在はというと、無事に出産したお子さんを育てながら、フリーライターの二足のわらじで型破りな生き方を実践しています。【活躍中のフリーランスへインタビュー】
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海外放浪、移住、出産、フリーライターの人生

出産を機に、在宅ワークを選ぶ女性は大勢います。子育てに適した環境を検討した結果、地域へ移住する家族がいます。移住して出産し、在宅ワークに挑戦する人もたくさんいます。

では、海外放浪中に妊娠し、帰国するも身重の状態で離島へ移住し、無事に出産した後、フリーライターとして活躍する女性は?

このインタビューの主人公は、そんな破天荒な生き方で、人生を謳歌する女性フリーライターです。話を聞けば聞くほど常識破りで、異彩を放つ 泥ぬ マコ氏 。彼女の生き方を支える、フリーランスという働き方をご紹介します。

やりたくて入った、成人男性向け雑誌の世界

―フリーライターになる以前の生活について教えてください。

高校を出て東京で一人暮らしをしていました。大学は入ったんですけど、3ヶ月で辞めちゃいまして。お金がなかったんですよね。「大学からは自分で生きていけ」と親に言われていたので。

半年間、警備員のバイトをしてから、東京のダイニング居酒屋で働くことになりました。厨房に入って料理をしていたんですよ。その後、出版社に入れてもらって、異動があったり会社が変わったりしながら、都合で3社を経験しました。

―出版社にいた経験があったので、今のWebライター、フリーライターという生活につながってるわけですね。

きっかけとしては、あるかもしれませんけど。出版というのが、男性向け雑誌の中でもマニアックなものでして。

―それは……わたしの好きなジャンルのやつですか。

そうかもしれませんね。出版社って敷居が高いイメージがあるじゃないですか。でも、そういう専門誌なら採用してくれるんじゃないかという計算があって。あと自分が全然知らない世界だったので、興味がありました。

―詳しかったら困りますけどね。そこでは希望通り、編集の仕事に?

慢性的に人員が足りない業界なので、いろいろなことを任せてもらえるんですよ。編集するし、撮影にも行くし。レフ板を持ったり、フィルム替えもやりました。文章がある場合は自分で書きますし、あまり外注を使う会社じゃなかったんです。カメラマンくらいですね。

―その後、海外を放浪して、Webの制作会社へ入ったと。

2年間ほど制作会社で働きました。その後、もう一度、海外に旅へ出たんですね。

英語の勉強したかったので、フィリピンへ語学留学して、ワーホリのビザを取得してカナダへ。そうしたら2週間くらいで妊娠が発覚しました。

カナダって物価が高いんですよ。夫と一緒に行ったんですが、二人とも定職があるわけじゃなく、現地で出産は難しいだろうと帰国しました。

出産を待たずして、南の離島へ移住を決意

泥ぬマコとヤドカリ

―帰国してご実家で出産を……ではなくて、妊娠した状態で移住をなさったとか。

妊娠5ヶ月目くらいまで実家でお世話になって。2ヶ月後に、車ごと、夫と2人半で船に乗って奄美大島へ来ました。

家もなにも決まってなかったんですよね。面白そうだから来ちゃった。とりあえず奄美に着いたのですが、どうしようかなと。コンビニみたいなのがあったので、そこの駐車場で夜を明かしたり。

8月だったんですね、すごく暑い季節。私、大丈夫かな? って思ってたら、ちょうど翌朝に知り合ったおばあちゃんがとても良い人で。「あんた泊まりなさいよ、うちに」みたいな感じで、その人が持っている家に住まわせていただいて、無事に出産しました。

―本当に良かったですね……。でもどうして、奄美を選んだんですか?

父が奄美出身だったというのがあります。あとは単純に、南のほうに行きたいなって。。。夫も住む場所にこだわりがないタイプなんですよ。ひとつの場所にいるのが苦手というか、引っ越し魔で。どこに行っても、どうせまた引っ越すんだろうなと思ってましたし。

いつ引っ越すかわからないから、どこに居ても出来る仕事を

ジャングルの中の泥ぬマコさん

―現在はフリーライターとして働いていますが、海外放浪中も同じようにライティングの仕事をしていたそうですね。

貯金がそんなになかったんですけど、アジアだったら安く過ごせるじゃないですか。1,000円でも2,000円でもいただければ、ということで細々とやらせてもらいました。

本格的にフリーとして始めたのは、奄美に来てからですね。最初はランサーズで、チラシをつくらせていただいて。その後、記事作成やデザインをちょこちょこと。

―文章以外もできたのは、出版社でいろいろやったからですか?

画像加工とかは専門誌のときに、見栄えを良くしたり、隠したりと……。Web制作会社にいたときは、当時はガラケーが主流だったので、ガラケーサイトの制作とか、バナー作成やLPをつくる仕事も経験できたんです。

―ランサーズ以外、自分で営業をして仕事を獲得することもしているそうですね。

ネットで売り込んだりしてます。編プロとかをリストアップして、小冊子を封筒に入れて片っ端から送ってみるとか。簡単に会ってもらえないですけど、2~3名の人が時間をくれて。そこから仕事をもらったこともあります。

これまで小冊子は3回つくったんです。東京にいた頃と奄美に来てからと。こっちに来てからもリストアップをして、募集していないところにも遠慮なく送ってみました。ホームページを見ると、外注募集って書いてあるじゃないですか。面白そうと思うところには全部送りました。

―奄美の会社は限られているわけで、そうすると全国各地の募集主をリストアップするわけですよね? 奄美にいながら、例えば東京の仕事を請けるのは難しいとか思いませんでしたか?

まったく思わないですね。海外にいたときもやっていましたし。それに、夫の引っ越し癖が完治することはないと思うんです。であれば、住む場所に左右される仕事はできないな、と。奄美に来てから3年ですけど、すでに「そろそろいいんじゃない?」みたいな感じで非常に言ってきますし。

―もともと営業は得意だった? 抵抗はなかったですか?

多分、得意なんでしょうね。出版や制作会社のときに、いろいろと経験させてもらったので、みんなどこかしら足りないって分かっているんですね。

だから「何でもできますよ」みたいに、隙間産業的に仕事をくださいと声をかけると、ちょろちょろと返事をいただけます。

さすがに実績がないと相手にしてもらえないですから、私は小冊子をつくって配るようにしたんですね。他の人とちょっと違うこと、少しでも目立つことをやっていこうと。

男性誌だけではなく、普通の書籍も何冊かやっているので書いてますし、制作したバナーやチラシも載っけて。やったことを片っ端から書いて、『なんでも請けられます』の根拠を示すようにしています。

―実績を積み上げて、それをポートフォリオにして、更に大きな仕事や新しい仕事をつかんでいくと。多くの人って、営業することに抵抗があると思うんですね。断られたらどうしようとか。

泥ぬマコさん真面目に語る

普通に断られますよね。でも、あんまり気にしないことにしてます。

冊子が届いて迷惑だったら、捨てていただければ良いですし。その一手間をかけてしまっているんですが、もしかしたら、私のやってきたことや出来ることを必要としてもらえるかもしれません。

ダメで元々。話だけでも聞いていただけたらラッキー。アプローチしなかったら、新しい出会いも仕事も生まれませんからね。とにかく、勝手に送らせていただいてます。

もっとも最近は、紙で送るのがコスト的に厳しいので(笑)、pdfでダウンロードしていただくようにしました。メール文面とかで気に入ってもらったら、是非、落としてくださいと。

―破天荒な生き方ですね、自覚はないと思いますけど。でも、実はきちんとした計算もあって。腹をくくりながら、自由な働き方を楽しんでいらっしゃるのが良く分かりました。

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